『アーサー王物語』ゲーレスとリネットの巻

本稿では青空文庫テニソン Tennyson 菅野徳助、奈倉次郎訳 アーサー王物語 KING ARTHUR'S ROUND TABLE」の物語部分を、朗読用に編集しました。

(ごく一部、言い回しの変更を含みます。)

アーサー王物語

ゲーレスとリネットの巻

これはイングランドが昔の話、国に一王の今とは違い国土を分つ数多の君々あって、己が領地を広めようと干戈(かんか)を交えぬ日はなかった。

これら諸王の最も尊きはアーサー王である。ユーサー、ペンドラゴンの子にして弱冠にして王位を継ぎたるが、領内の士、貴族共、何條(なんじょう)『無髯の小童(むぜんのこわらべ)』が配下に立とうや、王冠欲しくば剣の先で取って見よと言う勢い、その困難一方ならずであった。されども、マーリンといえる、不思議の術ありと思われたるいち老翁の助力によって、起り立つ反乱茲(ここ)に鎮まり、年若きアーサー王は儀式盛かんにロンドンにて王冠を戴く事になった。

此の王、ただに王冠を獲るのみか、これを保有するの力あること明かになって、他の王達も心して彼を敬し、苟(いやしく)めにも其の国境を侵してはならずと思い知った。

武芸を練り義勇の行を励まさんと王は円卓士の義団を建て、苟もこれに加ろうとするものは試合なり実戦なり先づ其の力を証すべきものと定めた。勇士等は又斯く誓言を立つべきであった、―

我等が尊(たっと)む王は我等の良心、
我等が重んずる良心は我等の王。
邪教を挫き、基督を奉じ。
出でて人の冤苦を救い。
誣言(ふげん)を語らず、誣言に聴かず。
神の言の如く我言(わがこと)を守り。
一人の少女を愛して心移さず、
其愛を得るまで、義勇の功幾年を積んで、
我恋人に奉ずべし。

円卓団の名声遍ねく聞こえ渡って、数多の青年、いつかは其座に連なるの誉れを得んものをと心密かに大望を懐いた。

さてここに一人の若者あり、名をゲーレスと呼ばれ、家に在って其の母オルクニーの王妃と共に住まって居た。此の若者は兄弟中遙かに年の違う末の子で、母は此の子に愛着し、何時迄も己が手許に置こうとした、取り分け其の夫ロット王年老ひて小供に帰り、中風に成って手足が利かず、何の用にも立たなかったので。

然るに若者は王城に上り、大に名を揚げて誉れ高き円卓団一勇士になろうとひたすらに思い込んだ。ゲーレスは常に母に暇を乞うて止まなかったが、母はまた何とか道理(ことわり)を説いて何時も彼を家に引き留むるのである母は、ゲーレスが余りに若しと言うこともあり、また)母を一人残すのは無情(つれない)仕打ちと言うこともある。でもゲーレスは毎日切求(せがん)で止まず、して彼が(日増しに)機嫌悪く不平に成り行くのに母は気が付いた。

母はこれに困(こう)じ果て、一計を思い付きそれですっぱり此の事が片付こうと望みを掛けた。(して心に思ったに、)行くも可し、但し一つの約束ありとゲーレスに言おう――その約束はとても出来ないものにしよう。斯くてゲーレスが又も、己を家に止めて盛りの年を無駄にせぬよう切に母に乞い求むるや、母は言った、――
『是非とならば行くも可し、
 唯一つ、王に求めて士となるに先立ち、
 母に対する孝と愛との証を見たし。』
ゲーレスは叫びぬ、
『如何なる証にても、一つと言わず、
 百の証も、行けだにすれば。
 いざ――早く――命の限り、
 我心証かす証をすべし。』

して、その試しは何事であったろう。それはゲーレスが身をやつして王宮に趣き、其の食ひ扶持の償ひに台所奉公を願い出で、どう迫まられようとも其の名を明かさず、十二ヶ月と一日の間は同じ勤めをして居ねばならぬと言うのであった。苟も気象勝ぐれた若者にはまことに辛き約束である。

ゲーレスも少時(しばし)は考えてそして其の約束を承諾した。『身は奴隷でも心に自由なかろうや。して馬上の試合が見られる』とゲーレスは言った。王妃は約束を言い出すまでに我が意をまげたを今更に残念がった、母はゲーレスが腹 打立てて退けようと思ったから。されど今となっては詮術(せんすべ)なかった。

ある日朝早くゲーレスは居城を立ち、誕生の其日より自分に仕えた二人の家来を供に連れて其の旅路に上った。主従三人粗末な見すぼらしい衣服を着けて、百姓に身をやつした、してその道中人目に着かず又これぞと言うこともなかった。彼等はアーサーが此の年カメロットに在って政を聴かるるよし承知して居る。王は降霊節の祝祭をすこぶる盛んに行わるるが常であるが、場所は何時でも同じ所とは限らなかった。カメロットは今ウィンチェスターと言う都会であって当時アーサー王が領土の首府であった。

一同その都に近づくと、供人等は高楼大厦(こうろうたいか)日光に眩ばゆくて其の華麗壮大なるに肝を潰した。其れは魔術で現われた都のようで、マーリンや其の魔法の不思議な話を思い出して、気味悪くなり、立ち去らんとゲーレスに願った。されどゲーレスは両人の願いを唯一笑に附した、かくて一同大門(おおもん)までやって来たが、その門は彫刻の美を極めて驚くと言うも愚かであった。

中央に高く『湖の仙女(せんにょ)』の立像あって、凛々しく麗しく、片手には一振りの剣、又片手には一箇の香炉を持ち、其の胸の上には基督教の記標たる聖魚が懸かって居る。此の像を中央として右左にはアーサー王の勝利を示めす戦場の光景が刻んでである。三人は此の驚くべき城門をくぐって大舘(やかた)への道を尋ねた。

さてもアーサー王の慣しとして、何ぞ異常の事を見ぬ内は昼食の席に着かれなかったのである。

勇士の一人サー、ガウェーンが訳けもなく窓より外を眺めて居たが、三人の近づき来るを見、王の許に行って言った、『我君、今日の珍しきこと出で来ましたればいざ昼食に行かせられよ。』

これはガウェーンの機転と言うもの、と言う訳は、何とかかとか言うて王城に見知らぬ人の来ぬ日とては無かったから、其れが何も珍しい事と限った訳でもなかったのに。

斯くて例の大なる円卓団は勇ましい姿優なる武士等犇々(ひしひし)と綺羅星の如く居並んだ、して王は其の真ん中に着座した。

三人の者は此の広間へと入り来た。ゲーレスは二人の間にあって、丈高く屈強の若者と見ゆるに、宛(さなが)ら病み弱った人の如く二人の肩に凭(もた)れて居る。並み居る人々眼を凝らして眺めながらも、其の為に道を開いて、三人はツカツカと王の許へ歩み寄った。

そこでゲーレスは供人等を後ろに残して歩み出で、恭しく身を屈めてさて言った、『陛下及び満廷の忠良(ちゅうりょう)別して円卓団義団に神の惠福を祈り奉る。臣は陛下に三つの願い事あって推參致しました。臣は今其の一つを御願い申して、他の二つは十二ヶ月後の此日、陛下が再び降霊祭の祝ひを執り行はせらるる其の時迄控へ申さん。』

『成る程』と王は言った、『して其方(そなた)の願いと言うは何事である。』
『と申しまするは』と王の顏色慇懃(いんぎん)に隔てなきを見、気を励まして、『と申しまするは、陛下が御台所(みだいどころ)にて一年と一日の間、臣に飮食を賜わらんことでム(ござ)りまする』とゲーレスは言った。

『それは極めて些細な事』と王は言った、『其方が馬と馬具とを求めるとも、朕はそれを得さそうものを、まして食物如きは、味方と言わず敵と言わず何人にも拒みはせなんだ。朕は喜んで其方の願いを許そう。だが先づ其方の名乗りと身分を明かせよ。』

ゲーレスはまことを告げたかったが、母への約束に抑えられた、それで恭しく答えたのに、『それのみは、陛下、申し上げ難うムりまする、何卒御情けを以て、其の御尋ねはなきように願いまする。』

『其方の意に任そう』と王は言った、して膳部(ぜんぶ)の頭サー、ケーを召されて、此の新来の人に必要な物一切の当てがいをすべしと、吩附(いいつ)けられ、且つ身分ある者として取り扱うべきぞと念を押し、『と言うは朕は確かに』と王は言うた、『彼者、其の名を明かすを拒めど、貴族には相違ない。』

『何んの』と、極意地悪の、口悪のサー、ケーは言った、『そんな事が要るものか、其の訳はもし彼奴(きゃつ)が貴族であったなら、馬物の具の無心であって食いもの許(ばか)りではなかったろう。食える丈は食わせるようにしてやろう、だが台所に置いて、召使い共の手伝いをさせてやる、それで彼奴には沢山だろう。屹度(きっと)だ彼奴は何所かの修業寺で育てられ、糧が続かなくなって、それで此所へやって来たのだ。呼び名にはボーメンズと付けてやろう、即ち『優さ手男(やささでおとこ)』と言う名である。』
(注) 優さ手男 手の美しく荒仕事に堪えぬ言わば役に立たずの義なり。

これは冷かして言ったのだ、と言うのは、ランスロットが、此の若者身なりが悪く其の願うところは卑(ひく)いが、其の広く秀いでた額、明色(うすいろ)の髮、格好のよい手でも分るが、まがいもなく身分ある生れであると、こころ付けて言うたから。してランスロットは猶(なお)、膳部の頭は馬や猟犬を見て其の鑑定がつきもしようが、確かに人の見ようは知らない、して又あの新来の若者を相当に扱かうが可かろう、左もなくば何時か己れの所行を恥づる事があろう、とまでも言うのであった。

けれどもサー、ケーは、ランスロットが好意の心付けを顧みずに、己が勝手に計らった。(そこで)二人の家来は立ち去って、ゲーレス(即ちボーメンズと今は言わねばならぬが)は台所働きの仲間に入れられた。

台所とは此の様な育ちの若者には随分つらい所であった。して彼をつかまえて随分乱暴な揶揄(からかひ)が絶えなかった、けれども彼は皆それを笑って堪え、皿洗いまでさせられても腹も立てなかった。一心不乱に其の苦行をして除けようと思い込んで、ジッと堪らえて機嫌好く万事やり通した。

(斯かる)ボーメンズの苦境にも一条の光明はあった、してそれは、此の若者が真っ先きに会ったガウエーンと、湖城のサー、ランスロットとより受ける情けであった。勇士等は皆サー、ランスロットを推尊し、又王と其の麗しい妃のギネヴヰーアの寵遇も彼にすこぶる厚かった。彼はあらゆる武芸力技(わざ)に其の誉れ並ぶものなく、比の武竸技に其の名最も高かった、斯くありながら彼は毫(ごう)も誇る色なく、温厚に慇懃に、人の愛慕(あいぼ)する所であった。

サー、ランスロットとサー、ガウエーンは、其の振舞謙遜で日々の勤めに不平のない風采(ふうさい)秀いでた此の若者がすこぶる気に入って、馬丁(ばてい)や婢僕(ひぼく)の中に若者を見るを好まなかった。それで両人はゲーレスに、密かに己等が部屋へ来れと乞うて、もっと好い衣食を得さす事に計らおうと約束した。けれどもゲーレスは、心魂(こころだま)に徹しやさしい情けを感じたが、助力の申出でを皆断り、深く両人の厚意を謝して、是れまでより好いものは何も要らずと言い切った。

真に彼に辛らく当ったのは大膳の頭のサー、ケーばかり、扶持(ふち)代わりに台所奉公するようなケチな根性持って居るとて絶えずゲーレスに悪口ついた。サー、ケーは王家の家事一切を宰領して居るので、其の手心次第で何(いかよ)うにもボーメンズを苦しめる事が出来るのだ、して又そんな事して興がる風であった。サー、ケーは余計な仕事、他の若いものに吩附けるより酷い仕事を彼にさせた。特別に余分の水や薪丸太を取って来べき場合には、それを吩附けられるのは何時もボーメンズであった。

サー、ケーは言った、『あれが立派な身分のものなら、少し抑えつけるがあれの為になると言うもの。』ボーメンズの唯一の樂しみは、種々(くさぐさ)の勝負事で其の運を試めすのであって、忽(たちま)ちに其の力も技も世の常ならずと知れた。苟もも槍試合でもあったなら行きたくて燃え立つばかり、して、(流石の)サー、ケーも、若し全く何にかまた吩附ける仕事が見つからぬ時は、いやいやながら彼を許してやるのであった。

斯くて其の十二ヶ月も移り行き茲にまた彌生(やよい)の春が廻り来て、降霊祭に近くなった。此の年の其の祝祭はウェールズのカーリーオン、アポン、ウスクで行われる事となり、満庭(まんてい)挙(こぞ)って鹵簿(ろぼ)盛かんに其の地に練り出した。勇ましき姿優なる武士等、花の様な姫達、中にも勝れて妙(たへ)に艶なるは王妃ギネヴヰーア、金色の髮、瑠璃の眼、其の顏(かんばせ)は白百合と紅薔薇の色を配しておる)。王妃は萌え初めの春の若葉のような薄緑の絹ごろもを召され、其の細腰には黄金の帯を締められた。

降霊祭の当日に満庭大礼式(たいれいしき)にて寺院の勤めに趣いた、王と王妃は玉座に着かせられ、勇士等姫達其の周囲に居列んだ。かくて饗宴は善美尽して大広間に張られたが、先づ暫しの時を割いて王に上訴を為さんとするものに当てられた。

忽ちに、取次ぎのもの若い美しい少女を伴ひ来たが、少女は痛く憂苦の有様であって助けを王に求めたのである。王は少女に、心静めて子細を語れと望まれた。(問われて)少女は、其の来れるは、さる貴族の姫の為なるが、其の姫は或る不敵の士の為に己が居城で取り籠(こ)められ、姫の身を防ぐものなかりし故、使いを以てアーサー王に助けを乞わしめた次第であると物語った。

『其の姫の名は何んと申す』と王は言った、『してまた姫を取り籠めた士は何ものである』
『陛下、それは申し上げ兼ねまする』と少女は云って、必死の思いで花の唇を堅く閉じた。

『勇士は数多此の通り』と王は答えた、『面々進んで其の姫の為に戦いもしよう。なれども其の姫の名も、姫を攻むる士の名も朕に告げずば、勇士等一人たりともやる事叶わず。』

此の時恰(あたか)も進み寄ったるはボーメンズである、見上ぐるばかり凛々しき容姿、意気昂然たる其の挙動、常時(いつも)の彼とは見えなかったが、恭しく礼をなし王に向かって言った。

『我君、御聖徳によって、臣は御台所にあることはや十二ヶ月と一日、今更めて彼の二つの御惠みを乞い奉(たてまつ)る。』
『何の異存あろう』と王は言った。

『第一に』と、己が用向きを余所にされたを痛く不満に思える様子の少女をチラと眺めやって、ボーメンズは言った、『此の難に当るは臣の望み(、其の姫の災厄を救う役目は臣に仰せ付けられたし。第二には、臣を士に取り立つる事をサー、ランスロットに許させたまえ、然らば臣は馬に跨り姫の居城に趣き申さん。』
『二つながら許して遣わす』と王は言った。

すると少女は大に怒り、双の頬に紅を濺(そそ)ぎ、両眼を輝かして叫んだ、『何んと仰せある!妾(わらわ)の乞いに、人もあろうに、台所の小者の此の若者とは。――然らば助けは受けますまい。』斯く云って少女は荒々しく身を転(そ)らし、礼もそこそこ御前を立ち去り、鞍壺に身を投げて供を後ろに駆け去った。

王に暇とまの黙礼し、ボーメンズは広間を下がりて庭に立ち出づれば、こは如何に眼に付いたのは、――美々しき馬具置いたる駿馬一頭、我が着用の甲冑一領、家を去る時供したる老僕等の一人が、此の時それを持って来て居る。

其の男は小声にて、ゲーレスが母の王妃これらの品を自分に持たせ、苦行の時限過ぎたれば彼の約束解けたりとの言葉を添えて、己を遣はしたりと言うのであった。

ボーメンズの胸は悦びに躍った。茲に漸く待ちに待ったる期限は終りとなって、我が身は再び真の我が身となった。(それで)先づ思ったのは、王の許に立戻り一伍一什(いちごいちじゅう)を物語ろうとするのであった。其の時ふと好奇の心が湧いて来て、ランスロットの外には誰にも秘密を明かさずに、又台所の小者になって居ながらに、あの高慢な美人に是非己れを尊敬さしてやろうと思い込んだ。それで、馬について待って居よと我供に命じ、ゲーレスはサー、ランスロットを探して、自分を士にする儀式を行われたしと願い出た。

『悦んで』とサー、ランスロットは言った、『併(しか)し此の式を行うに先だって其許(そこもと)の本名を聞かねばならず。』
『我が名はゲーレスと申し、オルクニーの王と妃との末の子なるが、母は我が身に一つの約束をなさしめたる上ならでは此の王宮に仕えるを許さじとの事、して其の約束は、一年と一日の間御台所に奉公して、何人にも陛下にさへも我が名を告げてはならずとの事でありました。』

『満足至極』とサー、ランスロットは言った、『余は始終其許(そこもと)の身分ある事を知って居た。』
 斯くあって、取急ぎボーメンズは士にされた、して彼は己が馬に打跨り、彼の高慢な姫の後を追い駆けた。

ゲーレスの行くを見守って、勇士等は兎や角と評し合い、中には打笑うものもあった、して何時も無情(つれなく)当ったサー、ケーは言った、『いざ、我が台所の小僧を大急ぎで追いかけ、彼奴が己れを主人と覚えて居るか試めしてやろうぞ。』

恰もボーメンズが彼の姫に追い着いた時、サー、ケーは急ぎに急ぎ馬迫り立て、叫びながら後から来る、『待て、ボーメンズ!我と知らぬか。竃の火の傍に其方が居なくて困る。』
『知って居る』とボーメンズは言った、『情け知らずの士と知って居る、だによって用心いたせ!』

斯く言いながら両人は勝負を始めた、して暫くあってサー、ケーは手傷を受け、高慢の鼻挫がれて地べたに落ちた。

斯くてボーメンズは姫の許に歩み寄った、姫は侮りながらも勝負如何にと思いながら其の立会ひに眼をとめて居たのであった。けれども姫は(何所までも)辛らくあしらい、彼を『台所奴(だいどころやっこ)』と呼び、其の新しい美服に椀皿の臭いが着いておると言い放ち、して彼に言うのに、サー、ケーは、誰も知る如く、ボーメンズの主人であるから、其の勝ったのはほんの偶然に過ぎない、してまたボーメンズを己が助太刀には頼まじ(と言い放った。

『姫よ』とゲーレス(今は本名を言うが至当)が言った、『心のまま何とでも言いたまえ、余は既にアーサー王に対して御身の難を救うの任に当ったれば、それを遂(と)ぐるか、試みて斃(たお)るるか、孰(いず)れか一つ。』

『何を申す、台所奴め』とリネットは言った(それが姫の名であるのだ)。『其方の立合うべき士は、其方が啜った雑炊の力では、能(あた)う其の顏を見るさへ得せまい。』
『兎も角も試めすこと』とゲーレスは静かに言った。

恰も此の時一人の男両人の所へ慌ただしく駆け来った。『助けて、助けて』と男は叫んだ、『我が主人、悪漢六名の狼藉に遇い、力及ばず縄かけられ、其の命覚束(おぼつか)なし。』

『其の場へ案内いたせ』とゲーレスは言った。其の男は主人が縛られ居る其の場所へゲーレスを案内したが、兇賊の三人は彼の来たるを見て逃げ去った。ゲーレスは烈(はげ)しく立ち廻って、手もなく残る三人に痛た手を負はせたるが、打物取っての達人なれば其の身には唯微傷を受けたるばかり。それより彼の打倒れおる人の所に立戻って、其縄を解き放ち、彼を助けて再び馬に乗らしめた。

士は大に其の恩を感じて深くゲーレスに謝し、共に其の居城に到り休息して疲れを癒さん事を乞うた。彼はゲーレスに報酬を爲さんとまで言い出でたが、これをゲーレスは断はった。『貴殿』とゲーレスは言った、『報酬は御受けし難し。余は今日誉れあるサー、ランスロットに取り立てられ士となったれば、これにて報酬に不足はなし。余は彼の姫に踵いて行かねばなりませぬ。』

リネットは打合ひの其の間、大事を取り少し遠ざかって居たるが、ゲーレスが此方(こなた)へ来ると愈々益々(いよいよますます)彼を悪しざまに言うのである。けれどもゲーレスは其の怒りをば意としないで、姫と共に行き、見知らぬ姫の災厄を救はんとする我が目的動かずと言い確かめる計りであった。

其の時彼の士は、外に旅の少女の居たるを見て、両人共に其の居城に来て休息あれと切に願うた。斯くて三人打連れて馬を進めた、して此の時初めてリネットも言い争いを遠慮した。

一同城中に到れば、主人の士は夕餉の仕度を命じて若き両人を其の席へと招じた。併しゲーレスの席がリネットの隣に定まると、リネットは俄(にわ)かに怒って立ち上がり、我が身分の恥なれば台所奴と同席はならずと言い放った。

ゲーレスの顏はパッとなったが、我初心を変ぜず、言い争いもしなかった。主人はゲーレスを側卓子(わきたくし)に坐らせ、己れも其の傍に座を占めて、リネットを唯独り残し置き、それで此の難問を片付けたが、これは満更リネットの望み通りでもなかったのである。

翌朝朝餉を済まして、両人は主人の待遇(もてなし)を謝し、再び其の途(みち)に上った。進み進んで乗り行く程に、何時か樹立ち小暗き林へ来ると、リネットが先き立ちになって通り抜け、それから、とある河の岸へと着いた。其の河を両人が無事に越せるは、唯一ヶ所の外になかった。其の渡り場には二人の士が両人を渡らせまいと見張りをして立って居た。又もや姫は其の舌の鋭き切つ先を、堪忍強きゲーレスに向けた。

『逃げ帰るが上々』と姫は言った、『(所詮)其方には、骨節(ほねぶし)の試しは剣呑でやれまいから。』
『人はいざ、余は』と彼は言った、『(二人は愚ろか)六人居ろうと帰りはせず。』斯く云って渡り場へ駆け寄せた。

茲に於て、又もや長い手酷どい勝負があったが、遂にゲーレスは二人の敵手を打負かして、彼とリネットは恙(つつ)がなく河を渡り超えた。されど姫がゲーレスに対する待遇(あしらい)は更まりもしなかった。『笑止や!』と彼女は言った、『運とは云え台所奴が斯かる勇士二人までも打負かす事のあろうとは。』

ゲーレスはこれを心にとめず、唯先へ急がんと促がすばかり。姫は又、何と云ってもゲーレスが一向気にせぬので、其の言うに任せた。殆んど終日(ひもすがら)乗ってから、変な所に着いた。其所には一本の黒い山櫨(サンザシ)が生えて居て、其れに黒い旗が掛かっておる。又其の一方には黒い盾が掛って、其の側に長い黒い槍、それに大きな黒い馬が繋がれ、直ぐ側に黒い石が一つあった。其の石の上に一人の士が黒い甲冑に身を固めて坐して居たが、其の名は黒土の騎士と言うのであった。

リネットはこれを見ると、其の士の馬に鞍が置いてないから、(疾く)谷を下がって逃げよとゲーレスに勧めた。
 『何を仰っしゃる、御身は余を臆病ものにしようとや』、微笑みながらゲーレスは言った。

すると黒騎士は闘ひの用意をなし、烈しく切り結んだが、手もなく負けて殺された。

これが済んで、両人は再び騎(の)り出したが、忽ち又、緑の甲冑に身を堅め、緑の盾、緑の槍を持って居る騎士に出遇った。前のようにこれも闘いを急(せ)ったが、ゲーレス何條厭うべき。そこで両騎士烈しく戦い、火花を散らして切結び、暫し勝負も見分かなかったが、運好き一撃緑の騎士を地上に打ち伏せ、ゲーレスこれに打ち跨がって、あはや彼を殺さんとす。

ところが、心ならずもゲーレスを尊敬し始めたるリネットは、其の士助くべきぞと、声高くゲーレスに呼びかけた。
『否』とゲーレスは言った、『御身に免じて容赦せよと、乞うにあらずば免るし難し。』

『麗しき姫よ』と、リネットが躊躇うので緑の騎士は叫んだ、『御願いなり、我が命乞いを爲したまわれ、して余には三十人の手下ありまするが、此の士が余の命さへ助けんとならば、其の三十人は彼が命に任せましよう。

されば、傲慢なリネットも、いやいやながら、自分に免じて打倒れおる士を助けん事を、ゲーレスに乞わざるを得なかった、してゲーレスは乞いに応じた。憤りも猛りも消え失せ、総身の骨砕くるばかり痛む緑の騎士は、ゲーレスに服従の礼を取り、己が為の取成しをリネットに感謝した。

彼は又、召さるるあらば、己れと手下三十人の士共とは何時たりとも、イザと言う直ぐアーサー王の馬前に立って戦うべしと約束した。彼は(又)其の夜は己が居城で過ごされたしと乞い、両人は其の意に従い、共に夕食を喫したが、唯一つの難事と言うは、リネットが又もやサー、ゲーレスの側に坐るを拒ばんだのである。ところが緑の騎士は――人の見ようが上手であって――前に両人を饗応(もてなし)た士のしたと同じ遣り方で其の判(さば)きを付けて、此度もリネットは独り離れて席に着いた。

翌朝、朝餉を了(しま)って、緑の騎士は両人が道中の無事を祈り、又もや両人は騎り出でた。行く事一時間にして、とある立派な城に着いた、城は朝日に輝いて、城楼の上には色様々の五十の盾が掛け連なってる、これは翌日大試合がある筈であったから。さても城の主は窓より外を眺め居て、近付く姫と隙間なく物の具つけたゲーレスとを見た。

『いざ下り行きて彼と勝負をなさん』と彼は言った、『彼は正しく武者修行のものなれば。』かくて彼は頂きより爪先に至るまで青の甲冑に身を堅めて、青い盾と青い槍とを提(ひっさ)げた。それより彼はゲーレスに立向はんと駆け出でて、又もや格闘となったが、前の如く勝ちはゲーレス、其の剣の下に敵手を押さえた。

青の騎士は声揚げて命乞いした。してリネットは、己が足許で其の士の殺さるるを好まなかった故、茲に再び是非なく我慢を折って命乞いした。此の士は手下五十人あったが、同じく、いざと言う場合には手下を率いてアーサー王に奉公せんと約束した。

姫とゲーレスは其の夜其所にとどまって、翌朝出立した、リネットは最早例の傲然(ごうぜん)と先きには立たず、サー、ゲーレスと轡(くつわ)を駢(なら)べた。これ蓋(けだ)し其の名は何んであろうと、彼はすこぶる優れ者だと、心の中に認め掛けて居たのである。

さりながら今や、あらゆる中にも最大の難関が近づいて来た、と言うものは、斯く兎も角と手間取りしが、いよいよ両人は『危難の城』に程もなくなったから、即ち其の城にはまことリネットの姉なるリオノルス姫が取り籠められて居たのである。

ゲーレスが打負かしたる三人の騎士は、赤土の赤の士の兄弟で、姫の援いに来たる士あらば誰なりとも、之を喰い止むる役目を吩附かって居たのであった。されど此の剛気の若者、皆掛りでも引けを取らず、していよいよ城が間近かになったと、リネットの警(いまし)めも彼をびくともさせはしなんだ。

よし身震いがあったにしても、それは嬉しさの余りであった、と言うのは、リネットの険しい眼色も今は柔らぎ、用心せよと頼んだる声音の中にもしみじみ親切なところがあったからである。『と申すのは』と姫は言った、『御身に怪我でもあってはと心配でなりませぬ、御身は勇ましくもまたやさしい士なれば、そんな事のないように祈りまする、して又妾は御身に対するこれまでの無礼をば真に後悔致しまする。』

『志しは辱(かたじ)けなし』とゲーレスは言った、『(されど)其の御言葉には及び申さず、御身より受けたる害は何もなし、此の上は御身が笑顏の光を受けて、これまでの働きにまさる見事の戦い出来ますれば。』斯くて両人は心勇んで騎り進み、其の昼後に、物凄き古城に着いたが、城の中よりは軍楽の音鳴り響いておった。

城門に接してシカモーア樹がある、それに象牙の號角(ラツパ)が掛って居て、両人が未だ見た事もない程に大きいものであった。リネットは言った、『これを其所に掛けたのは赤土の赤の士であって、何人にもあれ武者修行の者此所に来て闘ひを望まば、其者は此號角を吹くべき定めである、さすれば赤の士は立出でて其の者と勝負をばするのです。』

『さりながら、御身願わくは』――リネットは次第に慇懃になる――『今それを吹かれずに、夜陰になるまで待ちたまえ。と申すは、今より日没に至るまでは、彼の士に七人力有りますれど、其の後に至れば、当然身に備わる丈の力しか持ちませぬ故。』

『嗚呼姫よ』とゲーレスは叫んだ、『気弱い事語りたまうな、其の士如何なる力あろうと物かは、余は御身の姉君を救い申さん、さらずば死するばかりの事。』

さて斯く云ってゲーレスは馬急き立ててシカモーア樹に乗り寄せ、其の音城を震はすばかりに號角を吹き立つ。すると赤の士は、急ぎ物の具に身を固めたが、悉く皆紅(みなぐれない)の血潮の色、――鎧兜も、槍も盾も。斯くて彼はゲーレスに立向わんと城門を騎り出でた。

『何卒』とリネットは言った、『心して気を励まし勇を奮いたまえ、御身の剛敵見えますれば。して彼方の窓に、彼の手に虜われとなりおる我姉君リオノルス姫が居りまする。』

『(げに)絶世の美人――唯一人を外にしては――斯かる美人は見たることなし』とゲーレスは言った、『して斯かる姫の為に戦うは我が身の面目。』斯くてゲーレスは窓打ち見上げて莞爾(かんじ)と笑(え)めば、リオノルス姫も笑みを返して其の手を打ち振る。

其の時赤の士は大音声に叫けんだ、『遠慮めされ士殿、其方を見るは。某し此所にありと知らずや。彼の姫は我ものにて、姫の為に我は数多度(あまたたび)の戦いを爲したるぞよ。』

『そうでもあろう』とゲーレスは言った、『なれども姫が汝と共にあるを好まれぬは必定(ひつじょう)なり、さもなくば何條姫が、助けを求めに言い越して汝を除かんとせらろうぞ。余は汝の手より姫を援はん、ならずば其目的に斃れんのみ。』

『汝、先ず此の聞いて覚悟を定めるが可かろうぞと赤の士が言った、『彼方の樹立ちを覗いて見よ。』して其所には四十人の士の死骸が、其の首には盾と剣、其の踵には鍍金(ときん)した拍車が附いて、懸かっておる、『あれらの豪勇なる騎士共は』とせせら笑って赤の士は言った、『昔汝と同じ使命を帯びて此所に来たのだ、思うに汝も其の仲間入りをしような。又一本(懸ける)樹を探がすに困ろうかや。』

『勝負の用意』と、憤然としてゲーレスは叫んだ、『最早問答は無益なるぞ。』彼は怪我なき程の隔りに退(さが)り居らん事をリネットに乞い、それより二人の士、互に獅子奮迅と打って掛かった。

嗚呼!されど是れ果てしもあらぬ大苦闘、無道の士は七人力あったれば、ゲーレスに取って是れまでに比べるもならぬ最悪戦であったのだ。突然ゲーレスは地に倒れ、再び起き得ようとも思はれず、して赤の士は彼を押さへ付けんと其の上に折り重さなった。

するとリネットは堪まらず泣き出して叫んだ。『嗚呼、ボーメンズ殿、妾等が頼りにしたる御身の力は、何(いかよ)うなりしぞや。』

之を聞くと、ゲーレスの脈を走る血潮は燃え立って火となる心地。彼は其の敵を跳ね除け、躍り立ち、幾倍の力を新たにして敵に飛び掛った。繁き烈しき其の打手に敵の剣は打ち飛ばされ、見る間に敵は地上に倒れて詮術(せんすべ)なし。

『嗟(ああ)、倫(たぐ)いなき勇士、余は屈服して御身の慈悲を乞う』と赤の士は苦しき息で言った。するとゲーレスは言った、『汝が斯くも無道に屠り殺したこれらの士一同に対し、汝の命助くる事相ならず。』

『暫らく其の手を』と敗けたる士は言った、『して彼の士共を斯く無残に扱ったる次第を申さんに。嘗(かつ)て余が愛したる麗しき乙女ありしが、其の兄弟の者非命に倒れ、乙女の申すに、其の下手人はサー、ランスロットかガウエーンならんとの事、して乙女は余に、王宮の士共を日毎に探して、其の復讐に死に恥ぢを曝さすべしと約束をさせました。』

其の時数多の貴族や士共ゲーレスの許に来て、赤の士の命を援けんことを彼に乞うて止まず。

『(さらば)余は屑(せつ)よく其の命を助けやらん』とゲーレスは言った、『特に其の非道の所行は皆婦人の求めに因るとあらば。して彼は身を卑うしてリオノルス姫の許に到り、其の赦罪を乞い疾く疾く此の城より立ち退くべきぞ。彼は又家来の者共を引き連れて王宮に到り、武士の体面を汚したる非道の所行に対し、王の赦罪を乞うべきである。』

リオノルス姫は己が為に戦ったる勇士に対し、感謝措(お)く能わずで、茲に二人の結婚が成立たずとも限らなかったが、ゲーレスの心は全く意地張りのリネットに傾いて居たので、時を移さず結婚の用意が出来た。アーサー王は主客一同を招待あって、事の次第を聞こし召されると、ゲーレスの顏の赧くなる程御褒めがあった。

其の時オルクニーの王妃も見えて、よし身を窶して居るにもせよゲーレスと気が付かなかったとはと満座の人々を叱りつけたが、我子が常人(ただびと)ならぬを見せた次第と、美しい花嫁を手に入れた次第とを聞かせられては、(さすがに)王妃も其の気色を直された、斯くて目出度(めでたい)何もかも結婚の鐘で大円団となった。

-- END --

 

ヘレンケラー「当時の私は意識を持たない一塊の土くれみたいなものでした」

 

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私は六歳近くまで、自然だとか精神だとか、死だとか神だとかについて、どんな観念ももち合わせておりませんでした。私は文字通り身体で考えていたのです。当時の私の記憶は、例外なしに触覚によるものでした。私の成長過程のこの段階については、新しい学説の光のもとで私が三〇年間を検討に検討を重ねてきたことですから、私の言ってることに間違いはないと確信しています。私は獣のように食物と暖を求めていたのだと言うことを知っています。泣き叫んだことを覚えていますが、その涙の原因となった悲しみのことは覚えていません。私はものを蹴飛ばした記憶がありますが、それを体感として呼び起こしてはじめて、そのとき私が怒っていたことがわかるのです。食べたいものを合図で知らせるときや、母の農場で卵を見つける手伝いをするときは、私はその仕草を真似て知らせました。鮮明ではあっても肉体的なものに過ぎないこれらの記憶の中には、感情や理性的思考のきらめきはひとつとしてありません。当時の私は意識を持たない一塊の土くれみたいなものでした。ところが、それが、いつ、どこで、どのように起きたのか分かりませんが、他人の心が私に強力に影響を与えているのを脳が突然感じ取り、言葉や知識や愛に目覚めるとともに、自然や善悪についての一般的な観念にも目覚めたのです。私は、虚無の世界から人間らしい生活へと、実際救いあげられたのでした。

未來社/ヘレン・ケラー『私の宗教』p.48 「自己の経験と重ねる」

 

「知的財産」ですって? それは魅惑的な蜃気楼です

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プログラマーフリーソフトウェア活動家のリチャード・M・ストールマン著作。

http://www.gnu.org/philosophy/not-ipr.html

「知的財産」ですって? それは魅惑的な蜃気楼です

リチャード・M・ストールマン

著作権と特許、商標という、独立していて互いに異なる3つの法体系に関係した、独立していて互いに異なる3種類の存在に加えて多くの他の法を、一つの入れ物に放り込んで「知的財産(intellectual property)」と呼ぶのが流行るようになりました。この用語は理解をゆがめ、混乱をもたらすものですが、たまたま社会一般のものになったわけではありません。混乱から得るところのある企業が、その使用を促進したのです。よって、混乱を免れる最も明解な手段は、この用語を完全に却下して使わないようにすることです。

現在スタンフォード大学ロースクールのマーク・レムレー教授によれば、「知的財産」という用語が広く使われたのは、1967年に世界「知的所有権」機関(WIPO)が設立されて以来の流行であり、本当の意味で一般的になったのは近年のことに過ぎません。(WIPOは公式的には国連の組織ですが、実際は著作権や特許、商標の保有者の利害を代表しています。)広まったのは、だいたい1990年からです。(画像のローカル・コピー)

この用語は先入観を植え付けようとしますが、それを見抜くのはそれほど難しいことではありません。すなわち、この用語は、著作権や特許、商標を、有体物に対する財産権から類推して考えるよう示唆するのです。(この類推は、著作権法特許法、商標法が基づく法的原理とつじつまが合いませんが、そんなことは専門家しか知りません。) これらの法は実際のところ有体物の財産権法とは大して似ていないのに、この用語を使うと、立法者たちが現実の法をより比喩に合うよう変えてしまうのを誘発してしまいます。こうした変更は著作権や特許、商標の力を行使したい企業が望む方向ですから、「知的財産」という用語がもたらす先入観は彼らに都合が良いものなのです。

こうした先入観をもたらすというだけでもこの用語を捨てる理由たりえますので、人々はよくわたしに、こうした総体的なカテゴリに対する他の名前の案を提案するよう求めてきたり、あるいは彼ら自身による代替案(しばしば愉快なもの)を提案してくれました。そうした示唆の中には、「課せられた独占特権(Imposed Monopoly Privileges)」の略でIMPsというのはどうか、あるいは「政府に由来する法的に強制された独占(Government-Originated LegallyEnforced Monopolies)」の略でGOLEMsはどうか、というものもありました(訳注)。「排他的権利レジーム」について言及する人もいましたが、制限を「権利」として言及するのは予盾する二つの考えを同時に容認する二重思考と言えましょう。

こうした代替案のいくつかは、「知的財産」に比べれば改善と言えるかもしれませんが、それでも「知的財産」を何か他の用語で置き換えるのは誤りです。異なる名称をつけても、用語が持つより深い問題を解決することはありません。その深い問題とは、過度な一般化です。「知的財産」というような、一括りにできる何かは存在しないのです。それは蜃気楼です。人々が、「知的財産」を首尾一貫したカテゴリだと信じ込んでしまう唯一の理由は、その用語が広く使われているということが、関連の法律について、そういう印象を与えるからに過ぎないのです。

「知的財産」という用語は、せいぜい別々の法律をいっしょくたにするがらくた入れにしかなりません。弁護士ではない人々がある用語を聞いた際には、それをこれらの様々な法律に当てはめて、それらの法律は同じ共通の原理に基づいており、似たように機能すると思いがちです。

しかし、これほど事実と異なることはありません。これらの法律は別々に生まれ、別々に進化し、別々の活動をカバーし、異なったルールを持ち、異なった公共政策上の問題を提起しています。

たとえば、著作権法はオーサーシップや芸術を推進するために設計され、ある著作物の表現方法の詳細をカバーします。特許法は有用なアイデアの公表を推進することを意図しており、その代償としてそのアイデアを公表した者に一時的な独占を与えているのです。その価格は、ある分野の人々にとっては払う価値があるでしょうし、他の人にはないでしょう。

対照的に商標法は、ある特定の行動を推進することを意図しているのではありません。商標法は、購入者に対して彼らが何を買っているのかを知らしめているだけです。しかしながら、「知的財産」という用語に影響された立法者は、商標法を、広告するインセンティブを提供するスキームへと変えてしまいました。そして、この用語が指すのは、たくさんある法律のうちのただこの三つだけなのです。

これらの法は独立して開発されましたので、その基本的な目的や手法のみならず、詳細すべてにおいて異なっています。そこで、あなたが著作権法についていくつかの事実を学んだとしても、特許法はそこで学んだこととは異なっていると仮定したほうが賢明でしょう。こう考えておけば間違いはありません!

実際、あなたが出会う「知的財産」を使って構成されたほとんどすべての文章は、偽りでしょう。たとえば、「その」目的は「革新を促進する」との主張に会うでしょう。しかし、それは、特許法にだけ適合するものです(おそらく様々な独占を生みますが)。著作権法は革新には関係ありません。流行歌や小説は革新的ではまったくなくとも著作物となり得ます。商標の法は革新には関係ありません。わたしが“rms tea”と呼ぶお茶の店を始めた場合、ほかの皆と同じやり方で同じお茶を売ったとしてもそれは確固とした商標でしょう。トレードシークレットの法は、接する場合を除いて革新には関係ありません。わたしのお茶の顧客のリストは、革新と何の関係がなくともトレードシークレットでしょう。

「知的財産」は「創造性」に関係するという決め付けに出会うでしょう。しかし、これは実に著作権法にだけ適合するものです。特許可能な発明とするには創造性以上のものが必要です。商標の法とトレードシークレットの法は創造性にはなんの関係もありません。“rms tea”の名前にも、わたしの秘密のお茶の顧客のリストにもまったく創造性のかけらもありません。

人々はしばしば、「知的財産」という言葉を、実際にはその言葉が指し示すより広いか狭い法律の集合を意味するのに使います。たとえば、富裕な国々はしばしば貧しい国々に不公正な法律を課して彼らから金をむしりとろうとしますが、そういった法律のいくつかは「知的財産」法であり、いくつかはそうではありません。それでもなお、このようなやり口を批判する人はしばしば、彼らにとって馴染み深いという理由でこれらすべてに「知的財産」というレッテルを貼ってしまいます。この用語を使うことにより、彼らは問題の本質の説明を誤ることになります。正確な用語、たとえば「法的植民地化」というようなもののほうが、問題の核心を衝くという意味でより優れているのです。

この用語で混乱させられるのは素人だけではありません。これらの法を教える法学の教授たちでさえ、「知的財産」という用語の誘惑に惹かれて迷わされてしまい、彼らが知っている事実とは衝突するようなことを一般的に述べてしまうのです。たとえば、ある教授は2006年にこう書いたことがあります:

WIPOが入るフロアで現在働いている彼らの子孫とは違い、アメリカ合衆国憲法を形作った人々は、知的財産に関して原則と競争を重んずる態度をとっていた。彼らは権利が必要かもしれないということは知っていたが、一方で彼らは議会の手を縛っており、複数の方法によってその権力を制限していた。

この主張が言及しているのはアメリカ合衆国憲法の第1条第8節第8項で、そこでは著作権法特許法を正当化しています。しかしこの項は、商標法やトレードシークレット法、または、ほかの法律とは何の関係もありません。「知的財産」という用語のために、この教授は間違った一般化をしてしまうことになったのです。

また、「知的財産」という用語は、過度に単純化された思考も誘発します。人々が、これらの法がある一群の人々のために人工的な特権として作られたという、これらの異なった法が有するわずかな形式的共通性にばかり目を向け、その内実を形作る詳細、それぞれの法律が公衆に課す特定の制限とそれがもたらす結果を軽視するということを導くのです。この過度に単純化された形式への注目は、これらの問題すべてへの「エコノミスト的」なアプローチを奨励することになります。

ありがちなことですが、ここで経済学は、検討されていない仮定の伝達手段として機能しています。そうした仮定には、たとえば生産量が問題である一方、自由や生活様式は問題ではないというような価値に対する仮定、あるいは、たとえば音楽著作権はミュージシャンをサポートしているとか、薬の特許は生命を救う研究をサポートしているというような、多くの場合誤りである事実の仮定が含まれています。

もう一つの問題は、「知的財産」という用語の暗黙の広いくくりでは、様々な法律が提起する特定の問題がほとんど見えなくなってしまうということです。それぞれの法律が提起するこれらの問題は、まさしく「知的財産」という用語が人々に無視させようとするものです。たとえば、著作権法と関連した問題の一つは音楽の共有は許可されるべきかどうかということですが、これには特許法は何の関係もありません。特許法は、貧しい国々が生命を救う薬品を生産し、生命を救うために安く販売することが許可されるべきかどうかという問題を提起しますが、こうした問題に著作権法は何の関係もないのです。

これらの問題はどれも、本質的に単なる経済的な問題ではなく、非経済的な側面はとても異なっています。狭い経済上の過度な一般化をこういった問題を検討する基礎とすることは、差異を無視することになります。「知的財産」に二つの法律を入れることは、それぞれに関する明瞭な考えを妨げます。

ですから、「知的財産の問題」についての意見や、この想像上のカテゴリに関する一般化は、ほとんど確実に馬鹿げたものでしかありません。もしあなたがこれらの法律が一つの問題に関するものだと思っているのであれば、あなたはご自身の意見を圧倒的な過剰一般化からもたらされた選択肢から選ぶ他ありませんし、そうした選択肢のいずれも良いものだとは言えません。

「知的財産」の拒否は単なる理念のレクレーションではありません。この用語は真に害をなすのです。Appleは、この用語を使ってネブラスカ州の「修理をする権利」の法案についての議論を歪曲しました。このインチキの概念がAppleに秘密の優先を飾り立てる方法を与えました。顧客の権利と衝突するわけですが、あたかも顧客と州のほうが譲り渡さなくてはいけない原則となっているかのように。

もしあなたが特許や著作権、商標、もしくはさまざまの他の法律が提起する問題について明晰に考えたいのであれば、最初の一歩はそれらをひとくくりにしてしまうという考えを忘れて、それらを別々のトピックとして扱うことです。次のステップは、「知的財産」という言葉が示唆する狭い視座や過度に単純化した図式を捨てるということです。これらの問題を、別々に、かつ十全に考えて初めて、あなたはこれらの問題を深く考える機会を得ることになるでしょう。

WIPOの改革に関しては、 ここにWIPOにその名前と実体の変更を求める一つの提案があります。


コモンギスタンの興味深い歴史(「知的財産」の用語を破壊する)、もご覧ください。

アフリカの国々は、これらの法律よりももっと似通っていますし、「アフリカ」は地理的に一貫した概念です。そうは言っても、ひとつの特定の国ではなく、「アフリカ」について述べることは、多くの混乱の原因となります

リカード・ファルクビンジはこの用語の排除を支持しています

「知的財産」の用語をコリー・ドクトロウも非難しています

          (訳注) Impは邪鬼、Golemは人造人間、あるいはそれから転じて愚か者の意味。

 

朗読

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演出家 竹内敏晴

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より

https://kotobank.jp/word/%E6%9C%97%E8%AA%AD-662823

文章を声高く読み上げること。漢語としては奈良時代にすでに用いられていたが、日本語として一般化したのは明治以後のようである。近世以来日本では、意味がまだよくわからぬまま大声で漢文を読み下すいわゆる素読(そどく)が学習法として定着していたが、そのイメージの延長上にこの語が用いられたようで、その定義はきわめてあいまいである。
 類縁語に音読、朗唱、朗詠などがある。音読は黙読の発展として一語一語音声に出すことであって、1人でつぶやく場合も含まれ、朗読は他人に文章内容を伝えるために発音するのだとも考えられるが、また、音読は文章内容を正確に伝えるため単調に発音してゆくことで、朗読は発声された文によって聞く者にイメージや情念を喚起させるようにいわゆる「表現として」読むことだとする説もあり、区別はさだかでない。朗唱、朗詠はいずれも歌うような調子をもって読み上げることであるが、詩歌の場合には朗読と差がつけがたい。いずれにせよ近時は一般には用いられることが少なくなり、朗読の名のもとに一括されてきている感がある。
 朗読の形式としては1人で読む、大勢でそろって読む、数人で割り振って順番に読む、役割を決めて戯曲などを読む、などがあるが、1人読みあるいは役割読みと、集団のそろい読みとを組み合わせた群読は演劇的手法としても用いられている。
 詩人が自分の作品を声に出してうたいまたはよむことは本来の仕事であり、日本でも万葉の古時はもとより中世の歌合(うたあわせ)にもみられるところだが、日本の近代においては詩その他の文学作品は黙読されるだけのものという観念が固定してしまっていた。近年詩人の朗読が試みられることが多くなって、詩(うた)が人間の全心身をあげての行為であることが回復される兆しがみえつつあるが、日本人の場合、聞き手への働きかけはまったく意識されぬ自己閉鎖的あるいは自己陶酔的な発声が多く、欧米やアフリカの詩人のように、聴衆に語りかけ情念を揺り動かそうと働きかけることはきわめて少ない。
 日本の国語教育は従来文章の読解と解釈に主力を注ぎ、作文の重視にまでは及んでも、話すことや声を出して読むことはほとんど視野の外にあった。近時、朗読に関心を向ける教育者が増したのは、子供たちの体がちぢこまり声が小さくなり、情動やイメージの表出が乏しくなる傾向が顕著になってきたからである。声を発して読み、呼びかけ、他人の声と響き合うことによって、豊かな人間的表出を期待するのである。