朗読

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演出家 竹内敏晴

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より

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文章を声高く読み上げること。漢語としては奈良時代にすでに用いられていたが、日本語として一般化したのは明治以後のようである。近世以来日本では、意味がまだよくわからぬまま大声で漢文を読み下すいわゆる素読(そどく)が学習法として定着していたが、そのイメージの延長上にこの語が用いられたようで、その定義はきわめてあいまいである。
 類縁語に音読、朗唱、朗詠などがある。音読は黙読の発展として一語一語音声に出すことであって、1人でつぶやく場合も含まれ、朗読は他人に文章内容を伝えるために発音するのだとも考えられるが、また、音読は文章内容を正確に伝えるため単調に発音してゆくことで、朗読は発声された文によって聞く者にイメージや情念を喚起させるようにいわゆる「表現として」読むことだとする説もあり、区別はさだかでない。朗唱、朗詠はいずれも歌うような調子をもって読み上げることであるが、詩歌の場合には朗読と差がつけがたい。いずれにせよ近時は一般には用いられることが少なくなり、朗読の名のもとに一括されてきている感がある。
 朗読の形式としては1人で読む、大勢でそろって読む、数人で割り振って順番に読む、役割を決めて戯曲などを読む、などがあるが、1人読みあるいは役割読みと、集団のそろい読みとを組み合わせた群読は演劇的手法としても用いられている。
 詩人が自分の作品を声に出してうたいまたはよむことは本来の仕事であり、日本でも万葉の古時はもとより中世の歌合(うたあわせ)にもみられるところだが、日本の近代においては詩その他の文学作品は黙読されるだけのものという観念が固定してしまっていた。近年詩人の朗読が試みられることが多くなって、詩(うた)が人間の全心身をあげての行為であることが回復される兆しがみえつつあるが、日本人の場合、聞き手への働きかけはまったく意識されぬ自己閉鎖的あるいは自己陶酔的な発声が多く、欧米やアフリカの詩人のように、聴衆に語りかけ情念を揺り動かそうと働きかけることはきわめて少ない。
 日本の国語教育は従来文章の読解と解釈に主力を注ぎ、作文の重視にまでは及んでも、話すことや声を出して読むことはほとんど視野の外にあった。近時、朗読に関心を向ける教育者が増したのは、子供たちの体がちぢこまり声が小さくなり、情動やイメージの表出が乏しくなる傾向が顕著になってきたからである。声を発して読み、呼びかけ、他人の声と響き合うことによって、豊かな人間的表出を期待するのである。